扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

濃厚接触者になった母が、感染しなかったか、少なくとも発症しなかったこと

そういうわけで私は新型コロナ感染症に感染し、発症しました

実家②、松本で自宅療養となりました

感染経路は、ほぼわかりました

親戚から、お見舞いメールや電話がたくさん来ました

感染した人は何人かいたようだけれど、発症した人は多くなくて

そのうちの一人が私だったのですが

やっぱりね、とだれもが思ったそうなのです

というのも、私は、長期の遠征介護の連続で、基本疲れていて

加えてここのところ、母、父、義母いずれもに、頭を悩ます問題続きで

心身ともに疲れていて免疫力だって弱まっていたに違いない、

ということだそうです

思いっきり同情されてしまいました

 



ということで私と同じ行動をし、生活を共にしていた

長野の実家①の母の状況が非常に心配でした

91歳・・・発症したら命に係わります・・・

電話をしてみるのも本当に怖かったです

母がなかなか電話に出てこないのはいつものことなのですが

こういうときには不安しかありません

電話口で母の声が聞こえた時は本当に安堵しました

 

とりたてて具合が悪いことはない

暑いから家でじっとしている、あなたも気をつけなさい

 

とのこと、

今まで一番の子孝行(笑)な母だと、感謝しました

 

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結論を申し上げますと

発症した娘の濃厚接触者になった91歳の母は 発症することはなく

待機期間後の抗体検査でも陰性が判明したのでした

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私が陽性の判定を受けたので母は濃厚接触者になりますので

私は直ちに

母のケアマネージャーと、ヘルパーさん派遣の事業所に連絡をしました

これで、週二回のヘルパーさんの派遣は不可になりました

 

それから、実家①のお隣さんに連絡を入れました

私が発症して母が濃厚接触者になってしまったので

無防備に母と接触して迷惑を掛けたら大変です

ところが、そういう連絡を電話でしましたら

なんと、お隣さんも、お孫さんが感染しているとのこと・・・

なんだかあちらもこちらも、大変ですね、

などと、お互いに慰めあうような展開なのでした・・・(-_-;)

 

この時期、日本列島は前代未聞の猛暑、酷暑、でした

クーラーのリモコン操作もときにわからなくなっている母ですので

コロナ感染症と熱中症とダブルで心配でした

定期的なヘルパーさんの派遣も望めなくなったため

チバにいる弟に助けてもらうことにしました

それでも駆け付けられるのは早くても2~3日後とのこと

毎日続く猛暑に、母はうまく対応できているだろうかという不安、

それに、今日は母は感染症を発症していないだろうかという不安

弟が母のところに来てくれるまでの間

母に何かあったら、と、気が気ではありませんでした

 

弟が来てくれて、母の体調が悪くないようだとはっきりわかり

わたしはやっと自分の療養に専念できたような気がします

 

 

母が認知症でなければ

事態を説明して体調に変化があるようなら連絡してね、とか

熱中症に気を付けるようにしてね、

などといえば済む話です

でも私がコロナ感染症を発症したと言ったら

コロナ、というワードに対して恐怖感を持っている母ですので

母はパニックになってどんな行動をとるか予想がつかないのです

ですから、今回のことは、事実をありのままに母に伝えることが憚られるので

私も周りのかた達も、そのあたりのことを濁しながら

安否確認の電話などせざるを得ないのでした

 

例えばこの夏、私が実家①へ行く少し前に

「娘(私のこと)が怪我をした、と警察から連絡があったけどどうしよう」

と、お隣さんに駆け込むという”事件”があったのです

 

私が余裕をもって、実家①へ行くことを連絡すると

予定日を忘れてしまって、しかも、待ちきれなくなって

あれこれ妄想がうず巻くようなのです

 

私が何年か前にけがをしたのは事実、

お巡りさんが巡回に来たことがあるのも事実

そういう過去の出来事が、色々と蘇って、変な妄想になるのだと思います

 

そんな母の状況を、お隣さんや、ケアマネージャー

親戚さんたちもよくわかってくださって

今回も、すべてわかってそっと、見守っていてもえらえるという安心感があります

なんといっても私も弟も遠隔地住まいなので

いざというとき、物理的に近いところにいる人人の存在が

本当にありがたく、

頼ってはいけないと思いながらも事実上大いに頼っています

 



私の療養期間が終わり、陰性であることも確認できたので

私は抗体検査のキットを買い集めて

松本から、長野の実家①に急ぎました

 

母と会えた時は本当に嬉しかったです

 

母は暑さにあえぎながらも元気でした

 

私が感染発症したこと、

そのせいで介護サービスが止まり弟が来たことなどを説明しました

どこまで理解できているのかわかりませんでしたが

お前はつくづく情けない娘だ、くらいの小言をいわれるのは覚悟していましたが

意外にも私が感染してしまったことについてはおとがめなし(笑)で

ほっとしました

 

 

もしも母が無発症で感染していたらどうしようと思うと

なかなか検査キットを開ける気になれなかったのですが

そうも言ってはいられないので

思い切って検査実施・・・・陰性・・・・(*^^*)

 

鼻をぐりぐりやられるという不快な検査を母は我慢してくれました

説明に従って検体を試薬に混ぜて、待つこと15分・・・・

説明通りのきれいな陰性が出現して・・・・

ああよかった!、と思わず母に抱き着く勢いで喜んだので

母も、とりあえずいいことなのだなという表情とともに喜んでくれました

そして念のため私自身も検査をしましたが、陰性でした・・

 

母も私も陰性であることを、ケアマネージャーさんと、ヘルパーさんの事業所に連絡し

介護サービスも無事再開にこぎつけました

 

それにしても

母も私もほぼ同じ条件で生活していたのに

どうして母だけ元気なのでしょう・・・・

感染したのかしなかったのか、

もしかして母も陽性になったとして、

濃厚接触者の待機期間中に菌が消えて陰性に・・?

それもすごいことだと思うのですが

あらためて、母は強し、

昭和一桁、気も強いけれど、体も強い、ということ・・・?