扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

新型コロナ感染症に罹ってしまったこと

あれほど細かく細かく細心の注意を払って生活していたのに

感染・発症してしまいました

 

7月半ばに長野に行き、

法事出席のため実家①へ

法事が無事に済んで、

母がこれからしばらく独りで暮らしていくための準備をしてから

実家②に車で移動しました

実家②での用事が済んだらサイタマに帰るつもりでしたが

どうも体の調子がいつもと違うので

というか、はっきり、風邪症状 だったので、これは・・・・と思いました

長野県や松本市のHPで、新型コロナ感染症に関するサイトを

イヤというほどあちこち検索して、調べて

だいたい流れがつかめて、どうするべきかがわかりましたので

覚悟を決めました

ちょうど義母のかかりつけ医が発熱外来になっていましたので

電話をして事情を話し、受診しました

のどの痛みと、痰が出るのと、いつもより高めの熱が出る、

と言いました

詳しい問診と丁寧な診察の後、

胸の音がきれいだということで

風邪かな、と・・・

検査してみますか?

と聞かれたので

ぜひ!

とお願いしました

 

気分的にものすごく長い待ち時間があって

 

やっと、先生がいらして

 

陽性です、と

 

・・・・・・・・

 

そんな予感がしたからこその受診でした

ですが、

予想はついていたとはいえ、多分、人生でもかなり衝撃的な瞬間だったと思います

 

お医者さんから

 

病院から感染を保健所に連絡するので

保健所からくる連絡を待って、指示に対応すること

基本、外出は不可なこと

 

等の指示があり、

喉の炎症止めや痰の薬、解熱剤、等を処方されました

 

体調が悪くというのではなく、精神的なショックでふらふらしながら(笑)

帰宅したような気がします

 

帰宅後、松本保健所から電話連絡がありました

本来、私の自宅はサイタマなので

どこで療養するかということになり

この状況で動きたくないので松本の実家で、と伝えました

ああ、その方がいいですね

と言われました

思えば、新型コロナが流行し始めた2000年ころより

ここ、長野県では

特定地域、首都圏、と、目の敵にされた(←冗談ですよ笑)サイタマ人です

その私を、ここで養生しなさい、と言ってくださっているのです

ちょっと胸に沁みました

松本市にお世話になります、と心の中でお礼を言いました

 

食べ物はあるかと聞かれましたので

あります、と伝えました

 

療養期間は、発症日から10日間

これからサイタマに帰るつもりが帰れなくなってしまいました

 

 

松本市の場合は

スマホのサイトでその日の体調を毎日一回午前中に知らせるようです

 

体調はあまりひどくはならなかったのですが

午後になると若干の微熱があることが多くて、それが一番の不安材料でした

もともと、痰が出たり咳が出たり喉が痛かったりという体質なのですが

寝汗をかく、微熱がち

というのがいつもの私にはない違和感でした

それに、味覚・嗅覚異常、というのが怖くて怖くて

いつも何かにおいを嗅いでみたり、何かを口に入れてみたりしていました

においがする、味がする、と確認できた時の安堵感と言ったら・・・・(=_=)

 

幸せなことに重症にはならずに、回復に向かったのですが

もともとの体質とはいえ喉の痛みや痰がすっかり消えさるということはなく

熱を測っても、微妙に微熱であることがしばしばで、

治っているのだろうか

治っても、目に見えない後遺症が残るのではないか

という怖さがありました

色々検索すると、怖くなるような情報も数多く出てきます

未知の病、ならではの怖さです

 

 

ちょっと話は逸れますが

松本保健所からの通知が

実家②の住所に「〇〇方」の表記なしでいきなり私の名前でちゃんと届くあたり、

ワタシもずいぶん実家②地方になじんでしまったものだとつくづく思った次第です

 

 

 

 

療養期間が終われば、もう自由に活動していいのですが

ワタシには実家①の母の介護がありますので

万が一でも、陽性であっては困ります

 

お医者さんに相談してもう一度受診していただくことになりました

痰とのどの痛みがなかなかひかないことと、時に咳が酷いことを伝えました

診察していただいて

それに対応した薬をいただきましたが

咳止めはあまり飲まない方がよいと言われました

それから検査をしていただいて

 

けっこう長く待たされて

 

ダメかなぁ、やっぱり陽性かな・・・とへこんでいたのですが

 

先生がいらして

 

陰性でした

 

と伝えられた時には思わず、よかった、と大きな声が出てしまいました

 

 

さて、

やらなければならないことが山積みです

私が感染したことで、実家①の母は濃厚接触者です

母の検査、陰性証明が必須ですので

2日かけて結構松本市内の薬局をあちこち巡り回って

抗体検査キットを買い込んで

車で、再び実家①へ逆戻りをしました