扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

我が家に戻りましたが・・・(-_-;)

 

 

 

今日は2024年の3月2日

ここのところ天気が良くなかったのですが

今日は我が家からベランダ富士がきれいに見えます

 

先月、実家の母が施設に入所しました

それで私は自分の家に帰ることができました

家に戻ってそろそろ1週間になります

あまりに家を空けていたので

なんだか我が家ながらシックり来なくて困ります(笑)

 

やらなければならないことはたくさんあるのに、手がつかないし

外に出て行くのが嫌で

ただ、ごろごろグダグダして一日が終わってしまいます

 

コロナ禍で、県をまたぐ移動が憚られることになってから

私はほとんど長野県内で生きていたような気がします

 

そう言ったら、お母さんそれは盛り過ぎだよ、と娘に言われてしまいましたが

私の実感としては決して言い過ぎではありあません

 

そのうえ

『何かあれば駆け付ける』

という立場にある私には、予定を立てて行動することが不可能になりました

 

脳出血で倒れた時に、父は、すでにずっと脳梗塞を患っていましたので

救急に措置はしたけれど回復は見込めないと言われました

いつ何がおこってもおかしくない・・・

それが2018年の夏のこと

その時から私は、

万が一の際にはすぐに駆け付けられるよう

先の予定を立てることをやめました

事実その時から今までに

何度も何度も、危ないからと、私たち家族は病院から呼び出しがありました

そのたびに心臓がドキドキし

何とか持ちこたえてくれたとわかると本当にほっとしたものです

 

暫くして母が、一人では生活が難しくなりました

必要に応じて、私が母と付き添うことになりました

その頻度が増していき

片時も目を離せなくなりました

ショートステイを利用しながらの介護ではありましたが

昼も夜も目を離せないというのは

ひとりで対応している私には、肉体的に限界でした

 

しまいには

私はもう限界で、自分の家にも帰りたいので、

お願いだから施設に入ってください

と、母に頼んでしまいました

 

そんな風に言われて

認知の霞がかかった思考の中で

母は何を思ったのだろうか、と

そこまで考えると、いつも胸がギュッとなります

母にはかわいそうなことをしました

 

    



自分の家に戻れず

自分の家族とも離れ

精神的にもずっと緊張し続けたここ数年でした

 

遠征介護が始まってから

書道、着付け教室、パートの仕事、同窓会のお手伝い、は、辞めました

 

それに、集まりごとやイベント、旅行、会合などのお誘いは

キャンセルすると迷惑がかかるのですべてお断りしました

 

それから、我が家に住まなくなって

夫が、家事をはじめ家全般の管理をするようになって

私の『我が家市民権』がだんだん希薄になっていくというか

疎外感というのか、なんというのか・・・

自分の本来の居場所をなくしていくようで、それが一番身に堪えました

 

 

そんなでしたから

 

急に、何してもいいんだよって言われても戸惑ってしまう・・・笑

 

おまけに暖かいはずの我が家地方なのに、私が帰ってきてからというもの冬の寒さ⛄

もうまるまる1週間家に閉じこもって

暖かい家の中でぬくぬくと身も心も思いっきり弛緩しておりました

 

      

 

今朝、青空にすっきりと富士山が見え

やっと重い腰を上げるスイッチが入りました

 

 

まだ、叔母や母とは寄り添って行く日々が続くことには変わりはありませんが

これまで100%介護に身も心も尽くしてきたことに比べれば

はるかに遥かに、これからは、自分を中心にした生活ができると思います

 

そんなことを思うのも

この年齢になってもなお

まだまだやりたいことが少なからずある

欲張り、強欲な私だからです・・・・💀

 

さっそくお帰りなさいのプレゼントが届けられました

 



私の帰りを歓迎してくれる人がいることがわかって

本当に嬉しい・・・・・

私の家はやはりここなんだな、と思えて嬉しい・・・・