扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

驚いたこと

義母の家、実家②にびっくりするようなものがあったのです

びっくりするやらうれしいやら

 

諸葛亮孔明が主君の劉禅に奉ったとされる『出師表』の全文を記したものです

義母が中国に行ったときに、周りの人に勧められて求めたお土産品なのでしょう

こんなものがお土産になっているんですね

それほど、諸葛孔明も出師表も有名で人気があるということなんですね

 

 

中はこんな感じ

ただし、拓本などではなくて紙に筆で書いてあります

 

そのあとに現代語表記で書いてあります

もちろん、私には読めないのですけれど

 

 

出師表とは、出陣に関する建白書、ほどの意味の一般的なものだということですが

三国志の時代に諸葛亮が主君劉禅に上奏したときのものがあまりに有名で

『出師表』といえば諸葛亮のこの時のものをさすことが多いそうです

 

私が読んだ三国志では

南征を終えたのち、

敵対する魏の混乱に乗じて、攻めるは今、と決断した諸葛孔明が

時の主君に北伐の必要性を上奏した内容で

その内容のすばらしさゆえに有名なのだそうです

 

漢文に詳しいサイトがありましたのでご紹介いたします

私もこのサイトの解説を読んで勉強させていただきました

ありがとうございます

kanbunjuku.com

 

Wikipedia  の解説です参考にどうぞ

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前出師表[編集]

建興5年(227年)、諸葛亮が主君の劉禅に奉った上奏文。一般に「出師表」と言えばこの文章を指すが、「後出師表」(後述)と区別するために、「前出師表」と呼ばれることもある。自分を登用してくれた先帝劉備に対する恩義を述べ、あわせて若き皇帝である劉禅を我が子のように諭し、自らの報恩の決意を述べた文である。陳寿三国志の本文にも引用されている他、『文選』、『文章軌範』等にも収められており、諸葛亮の真作と考えられている。

古来から名文中の名文とされており「諸葛孔明の出師の表を読みて涙を堕さざれば、その人、必ず不忠」[1]と言われてきたほど、諸葛亮の蜀に対する忠義が如実に描写されていると言われてきた。北宋代の詩人蘇軾は「簡而盡,直而不肆」 (簡素であって出し尽くされている。真っ直ぐであって乱雑ではない)と『老子』五十八章の「是以聖人~直而不肆」を引用して高く評価した。また西晋代の将軍羊祜の讓開府表に影響を与えたとされ、古来から比較の対象とされた。   

なお「前出師表」は、代の古文の文体で書かれており、この時代に確立し六朝からに流行した、駢文の装飾的な文体とは異なる趣を持っている。この為、唐代・宋代の古文復興運動でも三国時代の文章としては唯一重んじられていた。古文真宝・文章軌範等の詞華集にも多く採用されている。

狩野直禎によれば、諸葛亮が尊敬していた楽毅の「燕の恵王に報ずるの書」の影響が見られ、楽毅の文章の本歌取りを行なっている所もあるという[2]

内容[編集]

諸葛亮が北伐(魏への遠征)に出発する前に、国に残す若い皇帝劉禅を心配して書いたという前出師表の内容は次の通りである。

まず、現在天下が・蜀に分れており、そのうち蜀は疲弊していることを指摘する。そういった苦境にもかかわらず、蜀漢という国が持ちこたえているのは、人材の力であるということを述べ、皇帝の劉禅に、人材を大事にするように言う。

さらに、郭攸之費禕董允向寵といった面々の名をあげ、彼らはよき人材であるから、大事にしなくてはならないと言い、あわせて後漢の衰退の原因は、立派な人材を用いず、くだらない人間を用いていたからだとも指摘する。

最後に、自分が単なる処士に過ぎなかったのに、先帝である劉備が3回も訪れて自分を登用してくれたことにとても感謝していると述べ、この先帝の恩に報いるために、自分は中原に進出し、逆賊たる魏王朝を破り、漢王朝を復興させようとしているという決意を述べ、全文を次のように結ぶ。

臣不勝受恩感激 今當遠離臨表涕泣不知所言

大意:私は恩を受けた事の感激に打ち克つことが出来ません。今、正に遠く離れるに当たり涙を流し、言葉もありません。

 

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諸葛亮が現代でも有名で人気があるのは

彼の業績が立派だったということもあるのですが、それ以上に

悲運の連続だったからだ、という解説がありました

なるほど

人の世の感覚ってそういうものなんだなぁとしみじみ思いました

たしかに

あれほどの優れた軍事センスと技法で頑張ったのに

勝利に酔う戦より、悲運に終わった印象の方が多い・・・

 

諸葛亮の最後の戦の地となった、五丈原を観光する動画がありました

何かと問題の多い中国なんですけれど(笑)

でも、こういう歴史を刻んだ地が実際にあるということには

少なからず感動してしまう、ちょっとミーハーな私です・・・

 

www.youtube.com

 

まだまだ吸収中です・・・・・