扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

6月25日

6月25日は義母の誕生日

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といっても、正式な誕生日ではなくて

どうやら本当はこの日に生まれたらしい、と義母は再三私に言うのです

理由はヒコさんの怠慢(笑)

ヒコさんというのは義母のお父上

私にとっては祖父なんですが、とっても優しくて

意外に可愛らしいかただったのでこう呼んでみたら

義母も面白がってくれて

以来、義母ともどもこう呼んでいます

 

本当は今頃義母の家で、

第二誕生日だなんて言って一緒に盛り上がっているはずなんですが

今年は事情が事情(私が腰椎圧迫骨折の手術をし、治療中)なので、

敢えてお祝い電話もせずにそっとしています(笑)

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それから私にとっては心惹かれることとして

今日は但馬皇女(たじまのひめみこ)が薨去された日とされています

 

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 香川道成の推理学 (2)日本の歴史

というサイトに、私がずっとずっと求めていたすごい系図がありました!

天武天皇や天智天皇のおびただしい妃とその皇子や皇女の関係が詳しく示されていて

本当に本当に感激しました!!

但馬皇女と穂積皇子とのロマンスの背景を知っていただくためにも

興味のある方はぜひ!

 

以下、私の拙い解説ですので

何か至らない箇所等ありましてもどうぞどうぞ暖かくお目こぼし下さい

 

さて、但馬皇女と穂積皇子はともに天武天皇を父に持つ異母兄弟ですが

但馬皇女は穂積皇子に恋心を抱いてしまいます

但馬皇女の母は藤原鎌足の娘、穂積皇子の母は曽我赤兄の娘

かたや、たたき上げの鎌足、

かたや大物豪族としてすでに確固たる地位にあった蘇我氏、

というイメージがありますので

いくつかの書物に、

熱烈但馬皇女の、おぼっちゃま穂積皇子への一方的な思いであった、

というような書き方をされているのですが、まあ、納得がいきます

 

それは初恋

そして結婚は別物

 

但馬皇女は、高市皇子に嫁ぎます

高市皇子は天武天皇の次代を継ぐ人物

というか、天武天皇の継承者候補ともいうべき大津の皇子、草壁皇子がともに亡き後

(自然にお亡くなりになったとは言いませんけれど)

天武天皇とその皇后である宇野皇后(鵜野讃良皇女・うののさららのひめみこ)が

やむなく(笑)目を付けたのが

壬申の戦いでも功績があり、人格・才能の備わったこれまたわが息子、高市皇子

 

ということで、実は高市皇子も但馬皇女の異母兄弟・・・

 

しかも、高市皇子には十市皇女というひそかに思いを寄せる皇女がいたのです

十市皇女は、額田妃王を母とする、サラブレッド的な異母兄弟で

しかもすでに大友皇子に嫁いでいました

因みに十市皇女の父は大海皇子なので

ここで初めて、大友皇子と十市皇女は父も母も別です

 

歴史は残酷で、大友皇子は壬申の乱で亡くなってしまいます

十市皇女にとっては大友皇子という夫への縛りがなくなり、

一方で密かに温めていた高市皇子の十市皇女への思いも再燃するだろう

と但馬皇女が思ったのかどうかわかりませんが

但馬皇女にとっては

夫、高市皇子を妻として支えなくてはという気持ちからフリーになった(私見)状況で

穂積皇子へのアプローチがどんどんエスカレート

 

穂積皇子としては、但馬皇女は兄である高市皇子の妃ですから

おいそれと手を出すわけにはいかないでしょう

しかも穂積皇子の妃はかの大伴阪上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)です

彼女は私の大好きな大伴家持の叔母であり後に姑でありとにかく家持の絶大な支援者で

後には大伴一族を統括する立場につくような人物

当初、大伴家は名門でしたし、穂積皇子の将来だって約束されているようなものです

そんな家庭環境を但馬皇女との恋で潰してもよいものであろうか

でも、但馬皇女も愛しい

一体どうしたものかと悩む理性がありながら

素直に身を任せたい思いもあったんですよね・・・

度重なるふたりの、しかもかなり大胆な逢瀬の報告(うわさ)が天武帝の怒りを買い、

穂積皇子は廃墟化した山寺に押しやられてしまいます

自分の後継者と見込んだ子ですから、立場を弁えよ、

とりあえず一時頭を冷やせ、という事でしょう

 

 

そんな悲劇的な展開を招いてしまった自らの行動に対して自責の念に駆られながらも

しかしますます皇子への思いを募らせる但馬皇女は

結局穂積皇子を思いつつ、和銅元年(708年)6月25日、独り旅立ってしまいました

 

但馬皇女の熱い恋の歌が複数万葉集に収めてあります

そして、皇女の亡き後、そのお墓を訪れて詠んだとされる穂積皇子の歌があります

彼は

そもそも但馬皇女の本当に熱い自分へ思いに対応していたのか

それとも、皇女が亡くなって初めて自分も慕っていたことに気付いた、とか

諸説あるそうです

 

この時代のことについては分からないことだらけですから・・・・

 

でも、この歌は、なんだかしみじみしてしまいます・・・・

 

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このいきさつが万葉集に取り上げられたのは

万葉集の編纂にも尽力した

大伴坂上郎女に関わることだったからなのかとも思います

 

でも、今とは比べ物にならないシンプルな生活の中で

但馬皇女と穂積皇子のエピソードに限ったことではありませんけれど

人に対する思いは今よりずっと自由で濃厚だったのかな、などと思います

『近親相〇』とか、現代で言う『不倫』とかの概念を超越して

またはそれらに対する現代の評価とは別の価値観や規範で

人々は生きていたのかなと思います

こういうことをすると誰かを傷つけ、誰かの立場を悪くするのではないか

という意味での善悪の判断はあるにしても・・・

 

 

今回の情報源はこちら

 

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乙女チックなタイトルですが、内容としてはがっちり歴史本、だと思います

といってもこの時代の記録が詳細に残っているわけではありませんから

作者の持つ豊富な情報を作者のフィルターを通してこの時代を解説した、

という感じだと思います

 

本当に面白かったので、お薦めします(^^♪