扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

糸屋の娘

2015/8/30(日)

 
今日、用事があって久しぶりに昔の友達に会い
食事をしながらあれこれ話をしているうちにお決まりの親の話になり
親の仕事の話になり
 
ウチは糸屋だから、
繭から糸とるのよ、と言っても、
結局はあちこちにそういう糸引いてくれる人を頼んでまとめるだけなんだけれど
機械なんて使わないの、座繰って言って、それも絹糸と紬糸と2通りあるんだけれど
わっかの回転数で絹ものか紬用か違うんだけどウチは玉糸(紬)専門で・・・
・・・・・・
 
彼女は、おそらく『上州座繰り』であろう説明をとうとうと語るので、
もうびっくりしました!
赤城紬なのかと聞くと
彼女の家は糸専門でそれを布にすることはなく
全て京都の織屋さんにおろしていたそうで
(この時点で、赤城紬とは言わない)
そのあとどういう製品になって行ったのかは意図的に明らかにされないのだそうです
また、赤城紬は製品もその地方で作られ、牛首紬によく似ているのだそうです
 
彼女のお父様が仕事を辞める時、関連したものは誰かがすべて持って行った、のだと(笑)
彼女自身、その技術や道具を少しでも残しておけばよかったと後悔しているそうで
それまでにお父様に何度か座繰を教えてくれと言ったのだけれど
お前みたいな者にできるような楽な仕事ではない
と、相手にしてくれなかったそうです
それがどんなに重要な伝承すべき技術であっても
ハッキリ言って、『仕事』としては農家の女性が空いている時間でできるお小遣い稼ぎ、のレベル
大学を卒業したばかりの自分の若い将来ある娘に薦めるのは
とてもではないけれど躊躇われたのだと思います
 
何ということでしょう、
もう少し前に知っていたら、お父様が辞める前にあなたの家に勉強に行ったのに・・・
 
何年か前に中国産が入ってきて価格競争になり、中国繭を扱ったことがあったそうです
輸入した繭を選別して、座繰へ回すのですが
とにかくその繭の状態がひどく、とりあえず選り分けなければならない、
その選別作業が、繭からでる埃や塵との格闘で
マスクをしていてもすぐ真っ黒になってしまうほどで、
しかも今のように『意識』が高くないので、マスクもかけずにやっていたり、で
「タイムマシンでその時に行くことができれば強力防塵マスクを父につけさせていたわよ」
と悔しそうに言っていました
あまりの状態の悪さに、ほどなく外国繭の扱いはやめて、ずっと国産の繭だけを扱ってきたそうです
ただ、それで商売的にはきつくなったのかもしれない、と・・・
 
大腸と肺のがんで亡くなられたお父様、今年で7回忌です
 
お父様が廃業された時、記念に京都の織屋さんから
お父様の糸です、と言って白生地を一反いただいたそうです
もったいなくて使えないのよ
と言っていました
もう、少し黄ばんでいるそうですが、なんか見て見たいなぁ、・・・
 
それから流れは着物談義
 
(自分よりかなり背の高い)娘に自分の着物を着せたんだけれど裄が短くて、
写真を見ても娘だけ手首がにょきっとでているのよ、
 
というお悩みへの私の答え
 
裄を直す予定がないのであれば
娘さんに、写真を撮るときは、着物の袖の中でほんの少しひじを曲げる様にって、言ってみて・・・
 
最初、意味が解らないようでしたが私が身振りを交えて説明すると
まあ、と、感心されることしきり!
着物って、融通がきくこと多し、ですよね・・・
 
 
わたし、糸屋の娘だから、と再三言っていた私のともだち
糸屋って、そういう意味だったのかと・・・
 
感慨深い一日でした