扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

師走の古寺 その2


いまごろ、師走の話で申し訳ないのですが・・・


昨年の奈良のお寺巡りでは、何年かぶりに東大寺にも行きました

観光客も多いけれど、それ以上に

鹿に埋もれる東大寺!!

鹿ってこんなにいましたっけ?
私のはるかかなたの記憶では、こんなに溢れるほどにいた感じがしないのですけれど・・・

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私が、ぼーっと歩いていたせいか
持っていた紙袋をかじりとられてしまいました
東大寺のパンフレットにこんなことするなんて
罰当りな鹿だこと・・・

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お話をしてくださっているのは東大寺の僧侶、森本公穣氏
大仏建立という大規模な公共事業を興すことについてもお話しくださいました
わたしが学校で教わった限りでは
不相応な公共事業としてマイナスのイメージでとらえることが多かった思いますが
しかし・・・
当時の国民は、本当にこの建立を心底嫌がっていたのだろうか、
というお話でした

なるほどなるほど、
お話を聞きながら
頷くこと多し・・・・
日本人の気質についても考えさせられた様な気がしました

それにしても
今回、西大寺薬師寺東大寺、この後に喜光寺、と
それぞれで御講話いただいてきたのですが
私、仏教について何も知らないな
ということを痛感・・・

仏教、かなり深いです・・・笑

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御大仏様が座っていらっしゃる蓮華座は、
火事により焼失したところを補って継ぎはぎだらけなのですが
その焼け残ったオリジナルの部分は建立当時のものだそうです
焼け残った部分には一面に、当時の世界観が精緻に線描されており
悠久の昔の人々の手仕事を実際に目の前にして
何とも言えない緊張感を感じました

マイ東大寺
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薬師寺の近くに喜光寺というお寺があります
わたしは初めてのお参りでした
薬師寺興福寺の末寺となっている法相宗のお寺で、
法相宗とは日本最古の宗派とも言える宗派だそうです

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これは東大寺↓、似てるのかなぁ・・・・
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行基ゆかりのこのお寺は、東大寺大仏殿の設計モデルと言われているのだそうです
東大寺の大仏殿を建立する際に
その十分の一モデルとして建てられたという言い伝えがあるのだそうです
今ある建物は創建当時のものではなく、室町時代に再建されたものです

因みにこのお寺の副住職髙次喜勝副住職さま
大の行基マニアだそうで
お話を伺っていても、節々で行基さんへの熱い思いが伝わって来たものです


行基菩薩さまイメージ 8


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お写経道場の正面は一面に金色の如来さまで埋まっています
そして、このひとつ一つが永代供養の墓碑なのです
実際に見てみて、こういう事かと納得しました

もしもここに夫や自分や、身内の者の名が祀られたら、なんて考えています
具体的にそう計画しているのではなく
漠然と思っているだけなのですが・・・

山田法胤ご住職さまはとてもお話が上手で、ついその気になってしまうほど・・・
2009年からは薬師寺管主をお努めになり、今はご勇退されて薬師寺長老様、
併せて、喜光寺のご住職でいらっしゃいます


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                         薬師寺東京別院にて

ご住職がおっしゃったのです

ここに祀られると、毎日毎日、参拝に来られる大勢の人の目に触れるから
寂しくないですよ

ちょっと私の心をくすぐりました(笑)


ところで、喜光寺の住所は奈良市菅原町508  ・・・
喜光寺は、かつては菅原寺とも言われていたそうで、
そして、かの菅原道真の”菅原”は
菅原というこの地の地名に由来しているのだそうです
菅原村の道真さん、だったなんて、なんか急に身近に思えてしまいます笑


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動画がありましたのでお借りしました♡