その昔わたしは40歳になったのが本当に本当に切なくて
それ以降、自分の誕生日が来るのをとても鬱陶しく思ったものです
(今から考えると40どころか50だって若くてうらやましいのにね・・・)
家族や友人が祝ってくれるのもあまりありがたくなくて
心の中ではいつも苦笑いをしていました
ところが50台になって、親しい友人が大病をしました
幸いいまは癒えていますが、完治はしていません
友人は文字通り病気と付き合っていくこれから、です
その友人からいつものように届いた私宛の誕生祝に添えられたカードに
今年一年の健康を感謝し、また来年も誕生日を迎えられますように
と書かれていました
その時、もしかしたら友人にとって、そして私にとっても
来年の誕生日は”来てあたり前”ではない、
ということに気付いたのです
まあ、人間だれしも明日の命を確約されているわけではないのですが
通常あまりそういうことは意識に上ることはありませんよね
でも、歳を重ねるにつれて、病気や老化が目に見えてくると
”もしものとき”が現実味を帯びてきて・・・
身の周りの人たちが、もちろん自分自身も、
また一年、もう一年、と
誕生日を迎えられるって、本当にありがたいことなんだって思うに至ったわけです
多分そんな『高齢』の私を気遣って、
会社からケーキをいただきました
娘は用事があって帰省した折に
食事会を設けてくれました
お土産は母の誕生日兼父の日ケーキ(笑)
タオルフェチの私に友人からの誕生祝
どんなタオルだろう、と興味津々でしたが
期待を裏切らないテンションの高さです・・・
珍しいことに夫からも!!
余りのことに、返って夫の来年を案じてしまう!!!(笑)
こういうことは、常日頃の夫婦のありかたが問われますね
たかが誕生祝で驚くなんて
いまどきありえない、情けない夫婦です・・・