扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

万葉集・・・とは何か・・・・

かな書道の記事にも書きましたが

 

ajisai2019.hatenablog.com

 

私は万葉集が好きです

万葉集とは、

天皇から農民まで幅広い階層の当時日本に生きていた人々の詠んだ歌を集めたもので、奈良時代に成立した日本最古の歌集・・・

 

と、簡単に思っていたのですが

それはとんでもない認識不足だということが分かりました

もしかしたらこんなことは周知のことで、

知らなかったんは私一人、である可能性が大きいのですが

万葉集が好き好きと言いながら本質は何もわかっていなかった私自身への戒めとして

あらためて記録しておきます

 

良い本に出会いました

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⇑ 大伴家持の一生と、万葉集がこの世に出るまでが

当時の価値観にのっとり、当時の言葉を一部使って

現代文で書かれています

その辺がなんともおかしいというか、

私の場合は積極的にこの時代にタイムスリップして、自分の意識を変えましたので

かなりのリアリティーをもってこの本の読破に成功しました(やや笑)

 

それは世に出すのにものすごく大変だったこと

万葉集とは、今でいえばおそらく100%発禁本

時の権力側にしてみれば、迷惑以外の何物でもない、

そんな性質のものだったのです

 

まず、この時代の歌集というものは、

当時は威力というか魔力というかそのようなものを持つものと考えられていた点では

私の想像をはるかに超えています

経典でもあり、法律でもあり、呪術書でもあり・・・

言葉には精霊が宿る、とされて

詠まれた歌の言葉の数だけ神が宿っている、くらいの勢いなのでしょう

現代の、文学作品に位置づけられる詩集、短歌集、句集などとは

その意味合いが全く異なると思わなくてはなりません

 

万葉集が完成された時の件(くだり)です

『巻頭には魂を活性化できる、魂振り的な性質を持つ呪歌を据えるようにした。そうすれば言霊の霊威が歌集全体に及ぶからである。』

この本を読んでいる間私はこの時代にタイムスリップしていますから、

なるほど尤もだ、と思うわけです・・・笑・・ってはいけませんね・・・

 

このように

歌集とは、ただでさえさほどに慎重にならざるを得ないものなのに

万葉集ときたら、その内容が半端ではない

 

『・・・・・・謀反人とされた者の歌は多い。

斉明天皇時代の有間皇子、持統天皇時代の大津皇子をはじめ、長屋王、藤原広嗣、橘奈良麻呂の乱、藤原仲麻呂の乱などでの謀反人。全部で23人。これに同情する類似の歌もかなりある。』

『さらに貧窮問答歌、これはなんぞ、朝廷の政事を真っ向から批判している歌ではないか。まるで民草に逆心を抱けと勧めているごとき歌ぞ』

 

そのほか、この世の終わりの歌とか、ニンゲンの最期のうたとか・・・

これほどのおぞましき歌集を国書とするなどもってのほか、

大伴一族以外の大概の人は、時の有力者であればなおのこと、

万葉集という≪禍々しき書物≫が世に出ることを反対するわけです

 

家持はいよいよもって決断します

この歌集が禍あるものではない証しとして、盟神探湯(くがたち)をするのです・・・

結果はよかったというのですからほっとします・・・笑

当然よ、だって家持は正しいんだから、などと

めちゃくちゃ反科学的な現象にも納得してしまっているタイムスリップした自分が

ちょっと怖い・・・笑

 

773年、万葉集が完成したのは家持57歳のとき

しかしその内容があまりに広きにわたっていたために

このようなおぞましき歌集など国書には出来ぬ、と言われ続け

失意のうちに亡くなります

そのうえさらに

国書にすることを強硬に阻止した桓武天皇のところに死んだ家持のたたりが襲う

という罪状で

家持は死してからもなお罪人としての罰を受けるなど、酷い有様です

 

死んでからさらに罰を与えるなど当時の常識でも、ひどい・・・

そんなひどいことをする桓武天皇が幸せに生を全うできるはずもなく

そのことでの桓武天皇へのたたりはエスカレートして天変地異にまで及びます

ここに及んで

桓武天皇は家持に対する仕打ちを悔いて万葉集の国書化を次代に託して亡くなります

桓武天皇に託された平城(へいぜい)天皇は

即位後直ちに万葉集を国書、歌の国史とし詔を下します

大伴旅人らが発案してから75年、

家持の一生をかけた編纂が終わってから35年が経っていました

その100年後、初めての勅撰和歌集、古今和歌集が編纂されます

その序文に、平城の天子、侍臣に詔して万葉集を選ばしむ、と書かれています

 

大伴家に生まれたのが運命

大伴旅人の子に生まれたのもさらなる運命

家持自身、家人としての比類なき才能を持っていたことが、もはや運の尽き・・・

家持は万葉集を古事記、日本書紀に並ぶべき国書としての歌集として世に出すことを

自からに課せられた使命とし一生を捧げます

多くの反対勢力に抗いながら、命を懸けてなし得た偉業である≪万葉集≫は

まさに大伴家持そのもの・・・

 

大伴家持の

というよりは大伴氏一族(中には賛同しない方々もいたようですが)の運命をかけて

一族の世代を経て、長い日々とそこに関わる多くの人々の命をのみこんで

ついには、国書として世の中に出現することができたという

そういう厳しい状況を経てその存在を保つことができたことを思えば

今私たちが知り得ることが奇跡としか思えないような

そんな≪歌集≫だったのです・・・

 

とはいってもこれはこの本『小説大伴家持』の内容であって

万葉集についてあれこれしらべても

大伴家持は『編纂に関わったとされる』程度の扱いだったりするので

家持さんは本当に不運な方だなぁ、と・・・・

小説、ということはフィクションということなので

内容自体も真否の程は悪しからず、ということですよね

ほんっとうに、不運・・・

 

大伴家というのはもともと天皇の護衛をする一族なのだそうで

どんなに家持にひどいことをしても

命を賭して守ってくれる大伴一族の天皇愛(をよんだ歌)に、

最終的には桓武天皇も心打たれたようで、

その辺はこの本としてはハッピーエンドなのかなぁ・・・

 

万葉集には私の好きな歌がいっぱいあります

それらに共通して流れる≪私の心が打たれる要素≫のひとつは素朴さだと思います

自分の気持ちを精いっぱい歌い上げるその姿からは

何の打算も慮りもない(まぁ、ちょっと褒め過ぎかもしれませんが・・・)

透き通った詠み人の心が窺い知れる・・・・

今の私にはとうていこんな境地にはなれないかもしれないと思うと

この人々の心に深い深い憧憬が生まれたりもします

 

天皇に対する歌にたいしては、

後の時代では、時の移り変わりを経て

その時代の状況によって、いろいろな意味付けがなされたりすることがあると思います

時には市民感情として相容れない解釈などもあるかに思います

けれど、万葉集が生まれたこの時代に思いをタイムスリップさせれば

天皇といえど、本当に身近にいる、あいすべきあのひと、ほどの近さの

存在なのではないかと思うに至ります

そうであれば

天皇を奉る歌は、天皇を愛し、愛するがゆえに命を懸けて守りたい

そういうかなり素朴な愛の歌なのだと思います

 

・・・・大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば  

    大久米主と 負ひ持ちて 仕えし官(つかさ)

    海行かば  水漬(みづ)く屍 山行かば 

    草生(む)す屍大君の 辺(へ)にこそ死なめ 

    顧みは  せじと言立て・・・・・・

 

・・・・大伴氏は遠い祖先の名を大久米主と呼ばれ、

    天皇に奉仕した一族である

    海に行けば、そこに漂う屍、

    山に行けばそこに倒れ伏す草生す屍。

    そうあっても大君のおそばで死のう、後悔などせぬ。