扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

喪の袋帯

2019/3/20(水)

3月最後の着付の稽古日でした
時間割としては今日は喪服のお稽古
それは解っていたのですが、
お稽古に使った喪服を、しまう前に家の中につるしておく風景を想像すると
とてもではないけれど、今の微妙な我が家の状況にはそぐわないとしか思えず
今日のお稽古で実際に喪服を着ることはパスさせてもらいました

そうは言っても良い機会なので、家で、
久しぶりに冬用袷喪服一式を箱から出して点検してみました

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一度も使ったことのない喪服です
乾燥材を入れて再び着物キーパーに封入しました・・・

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それでおしまい・・・





お教室で
お隣の生徒さんが持っていらした喪の帯は
京袋帯の長さで、袷用と、夏用の絽、のリバーシブル
サイズと言い、こういう喪装の夏冬の両面使いといい、初めてでびっくりしました!

もっとびっくりは、先生のおもちになった喪の袋帯・・・!!

更にびっくりは、喪服に関する常識と思っていた私の知識が、常識ではなかったこと・・!!!



何度あってもうれしい慶事とは違い、何度もありませんように、と祈る弔事では、
その、何度も起きないでね、という願いを込めて
喪装の帯結びは二重太鼓(二重に重ねた太鼓結び)を避けて名古屋帯で一重太鼓に締める
というのが日本の伝統的な決まり事だと思っていました

ところがこれは、袋帯より名古屋帯にシフトして着装のイメージを簡単そうにして
喪服をどんどん売ろうという
呉服屋さんの宣伝文句だったのだそうです
考えてみれば、名古屋帯というのは大正時代に生まれたもの、
それ以前は名古屋帯自体が無かった、のですから、
喪装で名古屋帯、なんて不可能な話ということです・・・
今でも、地方によっては、喪装でしっかり喪の袋帯を二重太鼓にして締めるそうです



ただ、私は、だからと言って呉服屋さんひど~い、などと思うには至りません
発生の元が呉服屋さんであれどこであれ、こうして日本の文化って作られていくんだな、と思うからです
日本文化と言っても、平安時代の文化と現代の文化は同じではないし、
和服を着ると言っても、今は、平安時代の装束をそのまま着るわけではないし、
そもそも、『帯』だって、古をさかのぼれば今とはかなり違っているし・・・
きっと、これまでの歴史の中で、いろいろな状況の変化があって
そこに生きる人たちが色々創意工夫をして
そうして日本の私達の文化が形になってきたんですよね・・・



今は、今の時代の和服文化なんでしょう
歴史的に変化してきた経緯を理解すると、それぞれに奥深いものがあるなぁと
単純な私はそれだけで感動してしまいますし
そうすることで、今についてもっと良く知ることができて面白いな、と思ったことでした