扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

平成最後の稽古―かな書道

秋の作品展に出すための
大事かなの私用のお手本ができました
 
『田子の浦ゆうちいでてみればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りける』
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太このうら遊有ちいてゝ三連ハ
真白耳處ふしの多可ね尓
ゆ支盤布利介る
 
 
有名な山部赤人の歌です
元々は万葉集に収められている歌で
富士を目の当たりにした素朴な感動をストレートに歌っているところが
昔田舎から出てきた私が、
初めて肉眼で富士山を見た時のあの感動とつながり、大好きなんです
天下の歌人山部赤人と自分を同じところに置くなどとんでもないことですが
どうぞお叱り下さるな・・・笑
 
この歌をよりお気に入りにさせたのは白洲正子百人一首の解説書です
 
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どんな歌集もそうですが、歌集によって、または書き写した筆者によって、
・・・と言っても昔の歌集のことです、今の話ではないので悪しからず・・・笑
同じ歌でも微妙に言葉使いが違ってくることが良くあります
あのころ、きちんとした印刷物がある訳でなし
それぞれがそれぞれに書き写されるという形で伝承されてくるわけですが
その間、時の経過とともにその時代の流行や考え方のフィルターを通り
微妙に言葉使いが異なってくる・・
そのことを別の言葉でいうと、洗練されてくる、ともいうそうで・・・
 
白洲正子はそこのところを良く解説していて
当時の状況を考えればそういう事はさもありなんと
今でこそそう思える私ですが
最初にそのことを知った時は本当に目からうろこでした
 
田子の浦ゆ~』の歌は百人一首にも選ばれていて
因みに百人一首ではこの歌は

<田子の浦うち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪はふりつつ

となります
百人一首のこの歌について白洲正子
「全体の調子が柔らかくなり、
 極端なことを言えば歌枕の富士山を眺めるような感じがする」
と言っています
「ゆ」は、~から とか、 ~を通って、など
限定的な場所を示す「に」とは違い、
より広い、歌を詠む作者自体の動きまで想像させる視野の広がりを想起させます
実際に、当時の田子の浦は今よりはるかに広い範囲をさしていたそうです
そのはるか広い広い田子の浦に出てみたら、
白妙どころか、表現のしようもないただただ真っ白の雪を被った富士が、
降り敷く雪の合間から見えるのではなく、くっきりと目の前に現れた、
その雄大さ、美しさに気圧された驚きと感動は、元歌の表現でなくしては伝わらない、
というのです
 
また、もともとこの歌は、
作者の富士山に対する感動を説明した文章、長歌に付随した短歌ですので、
つまり、作品の半分をもって伝わる伝わらないというなら
その分損をしているともとれるわけで・・

というわけで、この歌の完成形をどうぞ!

******

山部宿禰赤人 富士山を望む歌一首 
短歌を并せたり
 
天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き  駿河なる 富士の高嶺を  
天の原 降りさけ見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 
白雲も い去きはばかり  時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ
言ひ継ぎ往かむ 富士の高嶺は  
 
田子の浦ゆ うち出てみれば ま白にぞ   富士の高嶺に 雪は降りける
 
 
山部宿祢赤人望不尽山歌一首 
并短歌
 
天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河 布士能高嶺乎
天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 
白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 
言継将往 不尽能高嶺者
 
田兒之浦従打出而見者真白衣 不尽能高嶺尓雪波零家留  
 
 
 
 
 ふじのくに田子の浦みなと公園からの富士山(11月撮影)『富士じかん』HPより
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山部赤人万葉歌碑 『富士じかん』HPより
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ベランダ富士山・・・・4月平成最後の春の雪、翌日
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