扉日記

日々の扉や、開けてみたい数々の扉に思いを馳せつつ・・・♡

習い事の動機

 
大字かな書道のご高齢の生徒さんで
『予習』をして来られるかたがいます
ウチの教室では、基礎編に関しては
(作品についてはとっても自由です!)
古今和歌集の元永本の字体をテキストにし
先生が一人一人にお手本を目の前で書いてくださって、
その筆遣いなどを充分に観察することが勉強、ということなので
自分で勝手な本を見て勝手に書いてきてもある意味、勉強にならないのです
 
でも"ご高齢"の私たちにとって
古今和歌集・元永本の字体を基礎から学ぶって、どうなんだろう
と、ふと思いました
 
歳をとってから
これからは好きなことをやって人生を楽しもう
と思って何か習い事をする、というケースはよくあると思いますが、
その時の目標ってなんなのか、と最近考えることがあります
 
~極めようとまでは思っていない~
 
という気がするのです
たとえば、書家になろう、とか・・・・
 
そのかた、”早く”基礎編を制覇したい、と思われたのでしょうか・・・
 
もしそうだとすれば、その焦る気持ちはなんとなくわかるような気がします
私たちにはあまりたっぷりの時間はないので・・・
 
 
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でも確かに、高齢だからと言って
手を抜いて教わるのではなく
若い学生が学ぶように、
本格的に(基礎から)学ぶ、
ということこそが
こうして
プロに習うことの魅力であるはず
 
 
 
 
もちろん先生はそれでも、
学生に教えるのとは異なるとおっしゃっていますが、それはそうです
学生は時間もあるし
書家であれ、教師であれ、学者であれ、
書を自分の生活を賭けた技術にしなければなりませんから
 
 
なんて、
予習どころか
『宿題』さえもすっぽかす私が言えることではありませんでした・・・